掬池友絢住職ってこんな人
【お坊さんになった経緯】
中学・高校がキリスト教系で、毎日礼拝がありました。実家がお寺ということに加えて、その体験があったことが、僧侶になろうと思った理由ですね。静かに目を瞑って自分に向き合うことの大事さは昔から感じていました。また同級生などを見ていても、どんなに生意気でも礼拝堂では静かにして自分を省みているんです。宗教って人にとって、とっても大事なんだと思い、高校生の時に「お坊さんになりたい」と自分からいいました。
趣味がトライアスロンとうかがって驚きました! どうしてやってみようと思われたんでしょう。

何か打ち込むものを見つけ、その瞬間は僧侶というより一人の人間として、自分自身にしっかり向きあいたいと思ったのがきっかけです。メリハリをつけなければ、僧侶は24時間365日、おつとめや修行に関わることを考えてしまうもの。時間ができてもふと気づけば、次の法要でお話しするべき法話のことをぼんやり考えていたりします。

別に悪いことではないけれど、自分としっかり向き合って、心や体の状態を知る機会からは遠のきます。そういう状態がしばらく続いていた頃、己のことがよくわからなくなって、少々自信がもてなくなったことがありました。そこでまずは、マラソンから始めてみたんです。確かに自分をしっかり内省できる競技ではありましたが、正直ただただずーっと走るだけ、というのが気持ち的にしんどくて(笑)。友達のすすめもあって、トライアスロンに転向をしました。

トライアスロンは、自分と向き合うのにどのように役立つのでしょうか。
この競技は、ミドルであっても「水泳1.9キロ、バイク90キロ、ラン二ング22.1キロ」。特に水泳やバイクに関しては、一歩間違えば命の危険すらあります。だからちゃんと自分と向き合って、体の様子をさぐり、心の声を聞かなければならないんですね。体力的につらいな…と思ったのに「いやいや、気力でカバーするぞ!」ではなくて、きちんと自分の状態を把握しなければならない。気持ちも同様です。極度の緊張や恐怖にかられていれば、体は元気でもミスをして、それが事故につながる可能性が出てきます。

不思議なんですが、運動を継続するうちに、自分の体の状態を把握できるようになってきたんです。心拍が上がっている時、今上がっているなということを冷静に受けとめられるようになりました。自分の状態に気づき、そして、大事にしてあげる。それが私の中での、トライアスロンを通して己と向き合うということですね。
僧侶として、トライアスロンの魅力を語るとすれば?
教えにつながることですが、この競技は本当に「感謝」というものを意識させてくれます。体力的にも精神的にも極限まで追い詰められるからだと思いますが、もう今、この瞬間に存在していられるということだけで感謝が溢れてくるんです。たとえば水泳、バイクを終え、ようやく大地に足をつけてある程度安全な状態で前にすすめるランニングの最中は、ここまで生きてたどりついた感謝で胸がいっぱいです。それから、レース当日を迎えるまでに支えてくれた家族や友人たちのことも思い出しますね。気づかぬ間に、声に出してありがとうと言っていることもあります。つきなみなんですけど、沿道の声援も本当にありがたい。水泳1.9キロ、バイク90キロの後のランニング22.1キロですから、正直体力なんて残っているわけがないのに、感謝の気持ちによって、ふっとエネルギーがわいてくるんです。

また起こったことに執着せず、感情を乱さないという教えの実践の場でもありますかね。競技中は色々なことが起こります。トライアスロン専用の時計を身につけているのですが、そのバンドが切れてしまったときなど、本来は大パニックなわけです。しかしそこに執着せず目の前のレースに集中する。これは仏教の考えにかなり通ずるところがありますね。
Comment
掬池友絢さんは一見、いい意味で、あまりお坊さんらしくない。いつも気軽に話しかけてくださるし、その話題も非常に身近。穏やかなだけではない、壁がないのだ。そんな友絢さんがトライアスロンというハードな競技を行っていると聞き、色々とお話をうかがってみた。そこでわかったのが、友絢さんの「正体」。限界まで追い詰められる競技の最中に、教えをしっかりと実践している、なんともお坊さんらしいお坊さんであるということが判明した。やっぱり人って、見かけによらないんだなぁ…と、ぼそりとつぶやく取材者であった。
Private
2年半ほど前から、トライアスロンに挑戦しています。今はまだ、水泳1.9キロ、バイク90キロ、ラン22.1キロの『ミドル』なのですが、いつかその倍の『ロング(アイアンマンレース)』に挑みたいと思っています。