酒井菜法住職ってこんな人
【お坊さんになった経緯】
9歳で得度。仏教系大学を卒業後、一般企業への就職活動をする中で「自分が何をやりたいのか、夢は何か」ということにじっくりと向き合う機会を得る。自問自答の中で、宗務院に勤める道を選択。25歳で身延山久遠寺で修行し、2015年に生まれ育った高応寺住職就任となる。

現在、三児の母として、子育てに奮闘しつつ住職としてのお勤めも果たす。自分の経験を活かして子育て世代の手助けができれば、と、2012年からは育児支援も開始。以後、「育児支援」「教育支援」「介護支援」「がんカフェ」「仏活(仏教を学ぶ活動)支援」と、人々の苦悩に寄り添う「地域をケアする僧侶」として、さまざまな活動を行っている。

マインドフルネスや死生観の講演多数。NHKなど、主要メディアへの出演経験も豊富。
───どんな子供時代でしたか?
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お寺で生まれ育ち、9歳のときに出家の儀式にあたる『得度』をしました。父(現在は院首。三友健容)は仏教学者で米国カリフォルニア州立バークレー校の客員教授に就任したため、小学校低学年は米国の公立小学校に在籍していました。
幼少期から多種多様な人種と関わり、欧米の「自己主張しなければ相手にされない」という価値観の中で日本人の美徳とは、自分らしさとは…と自分探しをし続けていた気がします。小学校6年生の時は応援団長に立候補した程活発でした(笑)
 
───どうしてお坊さんになろうと思ったのですか?
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大学卒業後の就職活動がキッカケですね。一般企業に内定をいただいたのですが、人事の方と話をする中で、「私、何がやりたいんだろう。夢はなんだろう」と自問自答するようになったんです。その中で、「会社で働くのもいいけれど、育ってきた日蓮宗の宗門のために何かしたいな」と思うようになりました。それで、宗務院に勤めたんです。

宗務院は宗門の中枢機関なので、活躍する多くの僧侶に出会い刺激を受けました。しかし、女性僧侶の数が圧倒的に少ない。また女性は比較的、色々な出来事や強い信心があって、僧侶になっている事に気がつきました。そんな中、「私も僧侶になりたい」と自然に思いました。25歳で本格的な修行に出て、2015年には高応寺住職を拝命しました。
 
───お坊さんになってみて、どうでしたか?
正直、最初はとても辛かったです。一般的な僧侶のイメージは学識高く、人格者で超越した人です。しかし、いざ自分がその立場になってみると等身大の自分と、まわりから期待される自分との間で悩み、還俗を考えたこともありました。

当時は主人の社宅に住み、慣れない土地で孤独でした。ある日、実家であるお寺に久しぶりに足を踏み入れたとき、緑の美しさ、神仏の見守る神聖さに改めて気づき心が解き放たれ、涙が溢れました。仏の道を進んだ自分でさえ人生の中で苦悩するのであれば、世の中の女性はもっと悩んでいるのではないだろうか。多くの女性が苦悩から解き放たれる手助けをしたいと思いました。それが私のネクストステップです。

現在、安産・授かり祈願や水子供養、マタニティ瞑想、ベビーマッサージ、発育祈願など、女性僧侶だからこそ寄り添える関わりを行っています。女性は本当に悩みがつきないもの。私の方が皆さんから学ばせてもらうことばかり。これからも皆さんと共に苦悩に立ち向かい、ストレスを緩和する為に仏の教えで導いていけたらと願っています。
Comment
初めてお逢いした菜法さんは、ママ友と食事に行く前だった為ボブのウィッグに清楚なワンピース姿。ハーフモデルみたいなお顔立ち。菜法さんが掲載されている「美ST」を拝見していたので、大変失礼ながら「お~美魔女だぁ…」などとぼんやり思う。次の瞬間、はっとする。いやいや、この方は僧侶だ! 法衣に剃髪で過ごされている姿を思い出す。そう言えば、高校生のときに憧れていた、美人で大人びていて面倒見のよい3年生の先輩を思い出した。当時の憧憬は、神々しいまでに光り輝いていて、そのワット数はそれこそ後光に勝るとも劣らない。始めて知り合った女性僧侶がこんなに気さくで身近な存在の方とは! 仏を身近に感じる。ありがたい~
Private
  住職としてのおつとめや母や妻としての役割を担っていると、なかなか自分の時間が取れません。その分、日常の中から喜びを見出すチカラが身についた気がします。朝、カーテンをあけたときに太陽の光がぱっと差し込んできた時の幸せ。きれいに片付いた部屋での読書。歯磨きのさっぱり感も大好き!「仕事や家事から離れてこれがしたいのに…」なんて思うと苦しくなるから、そんな気持ちは手放して、普段の生活の中に幸福を感じます。